超福祉国家スウェーデンのつくりかた(5/5)

超福祉国家スウェーデンのつくりかた(5/5)


スウェーデンは、
いち早く社会福祉国家への動きを開始した国。
「社会科学の実験国家」と呼ばれる。

では、どのように改革が進められていったのか。


ポイントは市民の政治参加


他国も同様に調べているのだが、驚くことに、
どこもきっかけは、
市民が政治参加できるようになったタイミングで、
優秀な政治家が生まれ、大きな社会変革が起きている。

となると、国を変えるには、市民に寄り添える
政治家の台頭が必要ということではないか。


ちなみにスウェーデンは1796年の救貧令がきっかけ。
その後、1889年「スウェーデン社民党」設立され、
優秀な歴代の社民党リーダーたちが
44年もの長い間、一貫した政策を維持したことが大きい。


ポリシーは、
”国民の合意形成を得た上で、
 限りあるお金を国民生活のためだけに使う”







政治は、「税金」という社会基盤をにぎっている

政治が重要な理由として、社会基盤である税金制度を
握っていることはとても大きい。

ヨーロッパの大きな特徴は、社会保障が充実している
ことだが、これは高い高い税金からなりたっている。
(給料の半分は税金といてもっていかれるそう。)
その分、国民は安心を担保されているので納得して
いるのだが。
これら税金の使い道への理解を得て、うまく回すことは
政治家の仕事だし、それは国の社会全体にとてつもなく
大きな影響がある。


また、北欧では
教育や子育て政策にはお金がドンとおちる感覚があるが、
それも税金の回し方次第。それ以外にも、国を動かすには、
やはり政治によるところが大きい。

やはり国を変えるには政治が重要であり、
市民に寄り添える優秀な政治家の存在は欠かせないんだ
と感じる。


もちろん市民の選挙参加も重要だが、
さすがヨーロッパでは投票率は8〜9割で、
基本、国民は国を信頼している。
理想的だ。


「中立主義」

スウェーデンで独特なのは、中立主義。
福祉国家建設のためには、平和維持が必要。
第二次世界大戦では、世界から助けを求められ軽蔑されるも、
中立を忍耐で貫く。

国を守った結果、戦後好景気となり、
福祉国家充実に役割を果たした。

この精神も、超福祉国家につながっているのだろう。

スウェーデンは親切で優しい人が多いのは、
こういったことも関係しているのかもしれない。









【簡単な年表めも】

1763年 救貧令から歴史がはじまる
1889年 スウェーデン社民党 成立
    ※カール・ヤルマール・ブランディング 
     (社会主義者)
    「理想的な国家建設は暴力革命ではだめ。
     他党と連携し合意形成を進め、緩やかに制度を改善すべき」
1918年 救貧法(広範囲な福祉関連法へ)
1920年       ”   単独政権樹立
    ※ペール・アルビン・ハンソン
    「”国民の家”を定義。誰ひとりとして抑圧されず、 
      助け合って生き、階級闘争ではなく協調の精神が 
      すべての人々に安心と安全を与える国」    
    ※世界恐慌(株価大暴落、企業倒産、失業率増加) 
     乗り切る    
1960年 工業生産好景気、
    黄金時代「福祉国家スウェーデン」世界的に有名に
1970年 経済成長頭打ち
1994年 EU加盟、バブル後の危機を乗り越える 
    (中立・非同盟ではなくなる。)


■参考ページ:『歴ログ 世界史専門ブログ』


>超福祉国家スウェーデンのつくりかた(1/1へ)


 

2 Comments

  1. Hiroyuki Sakai says:

    日本は、世界の実験の場に来年からなります。G20の中で、人口減少と高齢化と多様化が同時にかつ急速に進む国は、無いからです。

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